動け。。。!まみさんのセッションを受けて動く私になる!

みなさまこんにちは、あっこです。

最近わたしの身に起こっていた問題。。

それは お金がない! です。

 

なにしろ出費が多い!!

原因を突き詰めてゆくといろいろあるのです、

でも私は、ただ、

お金がでてゆくのが怖くて怖くて

心が縮こまって今にも消えそうでした。

 

あまりにしんどいので

まみさん(やじるし屋 杉本真由美さん)の

個人セッションの申し込みをしました。

 

まみさんは、ふわっと

”それはつらかったね、自己価値をあげようね”

とかって 絶対言いません!

 

ズバッと

”正しい状況をきちんと把握しなさい、

今のあなたは柳がオバケに見えているだけ!”

 

うううう~~~、、、、最初からぐさぐさきます。

 

それから、

失敗するのが怖くて逃げ回ってばかりで

挙句の果ては動かないよね、

とにかくうだうだ言ってないで動け!!”

 

あうううう~~~~~、血と涙にまみれる私。。。。。

 

確かにまみさんの言う通りです。

失敗してしまったら、

”ほら、やっぱり自分はだめなやつだ、、、”って

また自分を責めてしまいそうな気がしたのです。

でも それはやらない言い訳だって今はわかります。

わたしの大得意分野 ”デモデモダッテ” なのでした。

 

それに そういえばほんとは私、負けず嫌いでした。。。

子供の幼稚園の運動会の玉入れだって

勝負かかったら本気だよ!( `・ω・´)キリッ

って思っていましたもん。

 

で、そんな私は、つらすぎるから失敗するのなんかいやだ、と

思っていたのです。

失敗するくらいならやらない、

これが私にとっての安全な道でした。

 

でもね、

私たちって動物なんですよね、植物じゃないんですね。

植物ですら動くのがあるのに(オジギソウとか)、

動物の私が 動かないなんてないんですよね。

 

それとまみさんが言っていたのが、

”時給○○円のパートで甘んじるのもいいけれど、

せっかく萌えコンで勉強したことも教材もあるじゃない、

自分で稼げ!”

 

ひゃあああ~~~~~~!

その通りだ~~~~~!

私は最近、ネットビジネスのいろいろなメルマガとか

取ってたのです。

でも、目の前にこんないいものがあった。。。

 

さらにまみさん曰く

”自分仕事って、もしかして最初は全然

稼げないかもしれない、でもね、

誰も自分の呼びかけに答えてくれなくても

申し込みがゼロであっても、

それでも 何度も何度もトビラをたたいて、

何度も何度も挑戦して、その度に七転八倒して。。

みんなそうやってるんだよね”

 

それを聞いていた時、

私の心にフツフツと湧いてきた思い。それは

なんかよくわからないけど

とにかく面白そうだ~~~!!!

というものでした。

 

七転八倒するけれど、流れにのったらすごく楽しい。

一か八かの世界だけど、やらないまま、動かないまま

終わるのはもったいない

 

 去年の10月、萌えコン0期に

入るか入らないかものすごく悩んだ私に

最終的に入塾を決意させたのが

この ”とにかくおもしろそう!”

という思いだったということを思い出しました、

 

それなので、とにかく動くことにしました。

さっき終わったばかりのセッションの

エネルギーそのまま書いています。

 

これを読まれていて

なんか萌えコンっておもしろそうだなあと

思った方、

2期の募集がかかったその時はGo!ですヨ。

  ₊ ⁎⁺˳✧༚*・゜゚・*:.。..。.:*・・*:.。. .。.:*・゜゚**・゜゚*:.。..。.:* ₊ 

<私とお話しませんか?>の会 

発足のお知らせ

 

スカイプで30分、私とお話しませんか?

リアルではお茶会を開く予定です。

 

ネタはなんでもありです。

特に、萌えコンってぶっちゃけどう?系のお話や

まみさんのセッションを実際受けてみて、とか

そのあたりは 実体験を元に

ガンガン語らせていただきますので

ぜひ、参考にしてくださいネ。

 

また、私のブログを見て萌えコンに

参加申し込みしてくださった方は

私による無料スカイプフォローアップを

させていただきます。(30分2回)

やってるといろいろ弱音も吐きたくなったり、

みんなはどうやってたの?とか

聞きたくことがでてくるものです。

お申し込み時に 細田のブログを見た、と

申請してくださいね。

 

日程はこれから調整してゆきます。

とりあえずピンときた方は

下記へご連絡ください。

akaisora_arukumono@yahoo.co.jp

細田亜紀子宛

 

メルマガもやってます、

よろしかったら登録お願いします。

こちらは今のところブログと同じ内容の事が

多いですが、本当はガチの宇宙情報とか

書きたいんです。

 

今あるスピリチュアルな情報は

商売目的だったり、

グッズなども 作り手の恐怖心が

べったりくっついてるのが

結構な値段で売られていたり。。。

 

その辺の本音とか

宇宙人Y先生のお話とか。。。

 

興味を持たれたかたはぜひ!

コチラから登録できます!d(`・ω -*)ヨロシクオネガイシマース! 

www.reservestock.jp

 ※ PCからの登録をお願いしております。

  

 

 

 

 

 

悩むのは才能があるってこと。。。高校野球に思う

みなさまこんばんは、あっこです。

花咲徳栄高校、優勝しましたね!

埼玉県勢で初めての優勝!

やった~~~~~!!!\(^▽^)/~~

 

花咲徳栄の監督の、感無量といった表情と

選手たちのうれし涙を流す姿に、

テレビを見ていて思わず涙腺がゆるんでしまいました。

また、残念なことに負けてしまった広陵高校の選手の

涙にも、思わずつられて泣いてしまいました。

 

どちらの選手も、ここまでくるのは本当に

大変だったと思います。

思うように打てない、投げられない、

キャプテンであれば仲間をまとめる難しさなど、

いろいろと悩むことも本当に多かったことと思います。

 

で、今日はその”悩み”のお話です。

悩みって、実はその分野で才能のある人が悩むんです。

悩むという事はその才能がある

ということなのです。

 

 例えば、

カウンセリングなどで ”職場の人間関係に悩んでいて。。”

という相談を受けた時、

”あなたは人とうまくやれる才能がおありなんですね”と

言ったら、びっくりされるし時には怒り出す方もいます。

”うまくやれないから悩んで相談しているんじゃない!

(怒`・ω・´)ムキッ

 

でも、本当にそうなのです、才能があるから悩むんですね。

 職場の人間関係が。。。という人は

人とうまくやってゆく才能が、

 一人ぼっちでさみしい。。。という人は

大勢でわいわい楽しくやる才能が、

 彼氏が彼女ができないんです、という人は

すばらしいパートナーシップを築く才能が、

それぞれあるというわけです。

  

私事になりますが、

子供たちがまだ小学生だったころ、

4年生から長距離大会というのがありました。

1周400メートルのトラックを3周するのです。

 

その年、上の子(息子)は6年生、娘は4年生でした。

息子の代は、マラソンが抜群に早い男の子が二人いて、

Y君とO君と言います。

4年生の時はY君が優勝し、5年生の時はO君が優勝しました。

今年はどちらが勝つか、観戦に来た親たちは

その話題で盛り上がっていました。

 

私は たまたまY君のお母さんと一緒に観戦することに

なりました。Y君のお母さんは、待機している6年生の

児童の中からY君をみつけ、

”がんばったんだから!あれだけ毎日走りこんで

がんばったんだから!今年は絶対大丈夫だよ!

自分を信じて、やってきたことを信じて

しっかりがんばって走っておいで!”

と、Y君を激励していました。

 

Y君のお母さんが言うことには、

Y君は5年生の時 O君に負けてしまって

ものすごく落ち込んでしまい、

自分はもうだめなのではないかとすごく悩んで

しまったのだそうです。

それで、お母さんも練習に付き合い、

一生懸命毎日走りこんだのだそうです。

 

それを聞いて私は驚いてしまいました。

そして、やっぱり才能のある人はその分野で

悩むんだなあと思いました。

 

うちは、息子は全体の真ん中くらいの順番で、

まあ、それで本人もよしとしているので、

マラソン大会が近づいてもゆるゆる家の周りを

走るくらいでのんびりしたものです。

 

娘はといえば、走る競技は得意とせず、毎回

どんじり君ですが、2歳半で心臓の手術をしており

走ってるだけですごいくらいなので、順番は度外視。

なので、二人ともまったく悩まないのです、

早く走る才能がないから。。(;^△^)ァハハハ

 

高校野球の選手たちも、本当に大変な思いをして

甲子園まできたのだと思います。

悩んで眠れなくて、そんな日もあったことと思います。

でも、その悩みの一つ一つは、

才能があるからこそなのですね。

 

そう思うと心なしか、

悩みが なんだかちょっとだけキラキラしたものに

感じてはきませんか。。。?

:*:・。,☆゚’・:*:・。,ヽ(・∀・)人(・∀・)ノ ,。・:*:・゚’☆,。・:*: > 

 

悩んだらあなたの才能に気付くチャンスです!

 あなたの悩みはなんですか?

あなたの才能はなんですか?

 

 

 

先祖の気持ち

みなさまこんにちは、あっこです。

今日は”先祖の気持ち”と題しまして、

ご先祖さまってこんな気持ちなんだろうなあと

思ったことを書きたいと思います。

 

10年ほど前、私は心身ともにボロボロの状態で

神戸メンタルサービスにたどり着いたのですが、

ヒーリングという言葉も、カウンセリングという言葉も

よく知りませんでした。

 

何もわからないままではありましたが、

このままでは自分は本当に死んでしまうかもしれないと

思ったのと、当時とっていた平さんのメルマガが

毎回すごくよかったので、

 ”その、平準司さんという人に会ってみよう”と思って

ある年の7月に初めてヒーリングワークに参加しました。

 

その初参加のヒーリングワークでフォーカスパーソンに当たり

そこで体験した不思議な感覚や人々に魅せられて

カウンセリングに、そしてその後はヒーリングなどの

いわゆるスピリチュアルな世界へとはまってゆきます。

 

こういった癒しの体験をした方がもれなく感じることと

思うのですが、それは

”もっと早く知っていたらよかった。。。”と

いうものではないでしょうか?

 

あと○○年早くこのことを知っていたら、

自分の人生もこんなに遠回りしなくて済んだかもしれなかったし、

会社を辞めなくて済んだかもしれないし、彼女や彼と

お別れしなくて済んだかもしれなかった。。。。

 

このような思いが強くあったので、

私は娘を、18歳になって本人さえいやがらなければ、

できるだけ早く 神戸メンタルサービスのヒーリングワークに

連れてゆきたいと思っていました。

 

娘は中学の頃から、授業にでないとかその他の素行不良に加えて、

パニック発作を起こしたり、いろいろ問題を抱えていたのです。

 

娘が去年の6月の平さんのベーシックに、

18歳で初参加したとき、

多くの人から ”18歳でここに来たの?すごいね!”とか、

”どうしてその若さでここを知ったの?”とか

いろいろ聞かれたそうで、娘はそのたびに

”母がここに来ていて、自分は無理やり連れてこられた”と

答えていたそうです。

 

娘はそのベーシックの2日くらい前から、

行きたくないと言い出しました。

前日は あまり人前では泣かない娘が

半泣きでキャンセルする!と言って聞きませんでした。

(こういうのは”ワークあるある”です。癒される前ってものすごく

抵抗感がでてきたりするのです。)

当日は朝からべそべそ泣きだし行かないと駄々をこねるという

悪い態度だった娘が、

今ではすっかりなじんでいます(^^)

 

正直うらやましいなあと思うのです。。。。。

私が娘の年くらいのころは、今ほどインターネット環境も

整っていなかったし、第一カウンセリングなんて言葉すら

聞いたことないくらいでした。

心が不調な時は精神科しか頼るところがなかったのです。

平さんの”きくまる”(神戸メンタルサービスの音声講座)

でもそんな話がありましたが、

その頃は精神科への偏見もまだあり、

心がつらくても親族や家族から、

”精神科には行かないで!”と言われてしまう、

そんな時代だったのです。

 

以下、きくまるで平さんは続けます。

たった13年前(当時)の、これが現実だったんです。

風邪ひいて、気合が足りないからだって

言われていた時代があったんですよ。

そんなこと言ったって、どれだけ気合いれたって

ウィルスには感染しますよね。(会場笑)

みなさん、どれだけ気合入れて体を鍛えていただいても

ピロリ菌には勝てないわけです、(会場笑)ですよね。

水虫菌にも勝てない。。!(会場笑)。

でも、心だってへこむこと、人間だからあるんですよ。

きくまる無料音源

『平準司の 人生が劇的に変わっちゃった人がしたこと』

                    より抜粋

 

また、私は娘にはブログを書くことを薦めています。

ブログの必要性は、娘がもしかしたらいずれ

プロのカウンセラーになった時にわかると

思いますが、

これに関しては、私が萌えコンで教えていただいた事を

娘に伝えることになります。

 

そうしてやっぱり私は、

こんな環境がそろっていていいなあ~~と

娘をうらやましく思うのです。

結局自分のため、というより

ほぼ次世代へ渡すものとなってしまう

たくさんの事たち。。。。

 

でも、考えてみたら

私の父親も同じようなことを言っていたのです。

”いいなあ、お前たちの時代は何でもあって。。。”

 

小さいころ戦争を経験している両親は、

戦争で生き残ったけど、その後も本当に

大変だったことを身をもって知っている世代です。

”俺たちの子供の頃なんて、できるだけ食べるな!って

言われたもんだ。あっこたちはたくさん食べろって

言われる時代なんだもんなあ。。。”

食べ物がたくさんあって、自由な時代、

それは両親にとってはうらやましい限りだったのかも

しれません。。

  

そう考えたら、代々さかのぼったご先祖様たちもみんな、

同じだったのかもしれないなと思いました。

こういった事はたぶん、時代ごとに準繰りで、

いつでも人々は 自分が例えば開発したり、

思いついたすごくよい方法があったとして、

自分はその恩恵にあずかることがあまりできなくても

次世代のためにと 一生懸命

がんばってきたのかもしれません。

 

みんなもしかしたら、ご先祖様たちからみたら

 ものすごーーーくうらやましい環境に

身を置いているのかもしれないですね。

 

そんなことを考えて

過ぎて行った今年のお盆でした。

 

 

 

 

泰三さん番外編。。「人は最後の時など知らなくていい」

みなさまこんにちは、あっこです。

今回は 「泰三さん番外編」です。

書こうかどうしようかこれまでもずっと

迷っていましたが、泰三さんの事を書いたので、

今回書くことにしました。

長谷川泰三さんがどんな方かは、コチラ ↓ 

stargate-n.hatenablog.com

  泰三さん主催の 2014年5月の終わりの

2日間のヒーリングワーク、

私にとって、文字通り最初で最後になってしまった

泰三さんのワークに参加したときのことです。

 

私は2日目の最後、つまり本当に一番最後の

オオトリのフォーカスパーソンでした。

私はその時、次のようなシェアをしました。

”人は最後の時など知らないほうがいい”

それは私と、宇宙人Y先生との別れから導き出された

言葉でした。 

 

私はその時、泰三さんの体調がそれほど悪いとは、

全く知りませんでした。

午前中は薬の影響でろれつが回らないから

セミナーやワークは午後からだという事は

聞いてはいましたが、以前事故にあわれていて

あちこち具合がよくないとは知らなかったのです。

以下がその内容になります。 

 

 私が宇宙人Y先生と呼んでいる方のところに

 毎月通うようになって、7年くらいたったころのことです。

2011年2月のある日、当時勤めていたイオンで

職場の上司から、明日(2月20日)は

休んでいいと急に言われます。

出勤時間の調整とのことでしたが、当時はお客様感謝デーに

従業員が休むなどもってのほか!という時代だったので

驚きましたが、そのままはいと返事をして家に帰りました。

 

家に帰ると Y先生からファックスが届いていて、

2月20、21、22日の3日間で個人面談を受け付けるという

内容でしたので、私はすぐ先生に電話しました。

 

先生は開口一番、

”細田さん、20日しか空いていません。”と言いました。

私は大笑いして”私も20日しか空いていないよ、

ていうかたった今、20日はお休みしていいって

言われてきたんだよ”と言いました。

先生とはいつもこんな感じでした。

 

その20日が、先生の最後のセッションだなんて、

やはり知る由もなく、普通に行って、普通に話して、

普通に"またね”と別れてきました。

先生も特別何も言いませんでした、ただ何度も

”これから頑張るんだよ”と言ってくれました。

何か変。。。。、何かが変でした。

 

そのあと震災が来て、先生と全く連絡がとれなくなってしまい、

3月の終わりにようやく電話がつながったと思ったら、

”ヒーリングの仕事から手をひきました。

もう東京に行くことはないと思います。”と言われました。

 

ショックという言葉では言い表せないくらいでした。

先生とこの先もずっと一緒にゆくんだと思っていたのに

あまりに突然の事でした。

 

この後かなりの間私は、羅針盤を失った船のように

ヒーリングと称するものの間をさまよいました。

そして、先生の事を恨んでいました。

どうして最後ならそう言ってくれなかったんだろう!

わかっていたのなら

どうして前もって言ってくれなかったの!?

 

半年以上すぎて、少しずつ考える余裕ができたころ、

そういえば、その前の年の秋口くらいに

ヒーリングの仕事を年内で全部やめる予定だったけど、

宇宙からもう少しやれって言われたので、

少しだけのばした、というような事をちらっと

言っていたような事を思い出しました。

 

そして、その回が最後だとわかっていたけど

言わなかったのは、

先生なりの訳があるんだと思うようになりました。

 

たぶん、ですが、

その回が最後だどいうことを、

私がもし早くから知っていたとしたら、

私は知った直後からその最後の回まで、

”あと〇回しかない。。あと〇回。。。”と

最後までのカウントダウンをし、気持ちが塞いだ

ことでしょう。いよいよ最後の回となったら

悲しい話やしんどい話じゃなくて

楽しい話をして 笑って終わらせたいと思ったでしょう。

そうして最後をきれいに飾れてもなお、

できなかった過去の事を悔やみ、

してしまったことを引きずったことと思います。

 

先生はいつでも、

”そのままのあなたでここへ来なさい”と言っていました。

悩んでても泣きながらでもいいから 

安心してそのままの状態でおいでと。

 先生は最後の最後まで、飾ることなくつくろうことなく

私らしく その時そのままの私であってほしかったのでは

はないかと思ったのです。

 

たとえその最後の日にケンカしようと、

伝えられなかった一言があろうと、

その時のその人そのままで。。。

 

 神戸の震災の後、新聞にあるお母さんの投稿が載りました。

それは、2歳になる息子さんを震災で亡くされた方からで、

こんなことになるなら、虫歯になるからと

少ししかあげなかったチョコレートを 

もっと食べさせてあげればよかった、というものでした。

 

私的な話になりますが、

お姑さんはお舅さんが亡くなる前日、ケンカを

したのだそうです。

今まで黙っていたすべて、これは言うまいと思っていた

お舅さんの浮気疑惑に関しても、

すべての文句をぶちまけたそうです。

お舅さんは黙って聞いていたそうですが

お姑さんが全部吐き出し終わると

ポツンと、”昔はかわいかったのになあ。。。。”と

言ったそうです。

 

その後むしゃくしゃしながら美容室に行ったお姑さんが

帰ってきて見たのものは、

ソファですでに冷たくなっているお舅さんの姿でした。

ほおに一筋 涙の後があったそうです。

 

お姑さんはずいぶんご自分を責められたにちがいありません。

私がこの話をお姑さんから聞いたのは、

お舅さんの葬儀からかなり立ってからでした。

 ”亡くなっちゃうって知っていたら、

あんなこと言わなかったわよ。。。”

お姑さんは涙声でいいました。

 

私は、お舅さんはお姑さんの愚痴を

最後に全部言わせてあげたかったのかなと思いました。

なので、”それはそれでお舅さんは満足されたのでは

ないかと思います、”とお姑さんと話しました。

 

話が泰三さんのワークに戻ります。

”最後の時など知らないほうがいい”というこんな話を、

泰三さんにとって東京で最後となるワークの

一番最後に聞くとは

泰三さんも思っていらっしゃなかったでしょうし、

どんな思いで聞いていらっしゃったのだろうと

後々思い出しては何度も何度も苦しみました。

 

場合によっては

最期の時を知り、だからこそそれまでの間

やりたいことを全部やって、全力で生き切りたいという

こともあるかと思いますし、

もちろんそれも十分ありだと思います。

 

でもきっと私は、

突然 そのお迎えの白い鳥がやってきて

”ええ?もう?”なんて あたふたしながら、

なんの準備もできず

だけど、その時の自分を何も飾ることなく

罪悪感も無価値感も癒されることなく持ったまま

そんままの自分で向こうへいくのかもしれないなあ。。。

なんて、そんなふうに思いました。

 

もしかしたら、生まれる前に立てた計画の

半分もできないままなのかもしれないけど、

それでも、まあいいか、と思えたら

いいんだろうなと思います。

 

何度か下書きしながら、ずっと書けないでいたことです。

これで本当にようやく一区切りです。

読んでくださってありがとうございました。

 

奇跡に導かれたミニワーク開催。。最終章「ミラクルはある!」

みなさまこんにちは、あっこです。

光の人がやってきて、あっという間にミニワークを

やることになったところまで書きました。

 

さて、ミニワークを開催する事にはなったけれど、

企画をイージーアップ中心に練っていたある日、

ひょんなことで、神戸メンタルサービスの

4月ワークに参加することになります。

実は、娘が神戸メンタルの初級コースに在籍しているので

一緒に出ない?と誘われたためでした。

 

こうして、親子とも受講生という極めて珍しいスタイルで

4月ワークに参加した私は、この時感じた事をもとに、

みんな親から愛されているということを

ミニワークのテーマにすることに決めます。

こうして、ミニワークの第一部のテーマが「母の気持ち」

に決まりました。

 

第二部は、10年もブランクが開いてしまって、それでも

ミニワークを開くことに決まったという奇跡と、

一方でなぜ10年もできずにこじらせたのか、という思いから

「ミニワークができずに10年もこじらせた私が 

 ミニワークを開催できたワケ」とし、

一部二部共通のテーマを「自分の存在価値を受け取ろう」

としました。

 

ところが、そうなったら出てきたのです。。。

”ミニワークやりたくない。。。”という気持ちが(><)。

とにかくやりたくない、そればかりがどんどん出てくるのでした。

 ミニワークを開催する、という事は、自分の価値を

受け取ることに他ならないから抵抗感がすごくあるのだと、

この時の私は思っていました。

 

この時期は次々とミニワークを開催したくなくなるような

事ばかりが起きてきました。

 ●会場が決まった日には娘と大喧嘩になり、親から愛されている事が

 テーマのミニワークなんて無理!と思う、

●レジュメを作っている途中でパソコンが壊れる(買い替えました。。)

●5月ワークでの告知が上手にできず失敗感にまみれる。

などなど。。。

 

そして時が足早に過ぎ、7月になりました。

娘から再び ”一緒に7月ワークに参加しない?”という

お誘いがありました。

 

私は迷いました、なぜならその回が上級コース生として

最後の1回のワークだったからです。

その上級コース生最後の1回というのは、

もともとは卒業式をやってもらうために

ずっと取っておいた回だったのです。

 

一方で、7月ワークに参加して、少しでも多くの人に

私を知ってもらいたい、という思いもありました。

ごくたまにしかワークに出ていない私のことを

知っている人がとても少ない、これは泰三さんの言っていた

集客という事に直接かかわってくることでした。

 

結果私は、3日間の7月ワークへの参加を決めます。

そうして参加した3日間の7月ワークでした、が、

眠い。。。!とにかく眠いのです、

これは3日間通してずっとそうでした。

 

ワーク中の眠気は、無意識での抵抗、拒絶を意味します。

これがいったい何を意味するのかは、

ワークが終わった約1週間後に行われる、ワークに出た人の

サポートとして開かれるコンプリーションで

ようやく知ることになります。

 

そのコンプリで、私は眠気の正体を知ります。

それは”つながりを拒絶する”というものでした。

これは心理学的には”自立”を意味します。

 

自立というのは、例えば小さいころ親に傷ついて

”もういい!パパやママには頼らない!自分でやる!”と

傷つき怒って分離した状態を表します。

 

自立の人の特徴は、人に頼らない・なんでも自分もやる。

そして人にお願いすることがものすごく苦手です。

それはお願いすることは迷惑をかけてしまう事と

感じてしまうからです。そして人間関係で傷ついたぶん、

一人でいるほうが気楽、と感じます。

 

そんな自立の道をそのまま進んでゆくと、

そこにある未来というものは独りぼっちや孤独。。。

あまり幸せな感じではありません。

 

コンプリで、この自立の話を聞いていて

ものすごーーく思い当たると思い、

家に帰ってから数回イージーアップしてみました。

 

そうしたら心のうんと下のほうにいました、

ものすごく傷ついて、

ものすごく怒っている自分が。。!

 

傷ついて怒って超自立し、周りとの関係性を切って

独りぼっちで生きてきた(という感覚の)私が、

”ミニワークやります、この指とまれ~”と

自分からみんなに繋がってゆくなんて、

2度と傷つかないためには もう超絶やりたくないわけです。

 

私のワークに来たいと思ってくれる人なんていない、という

罪悪感や無価値感を使って自己価値を受け取らないでいたことが

10年ミニワークをできないでいた原因だと思っていましたが、

もう一つの、大きな原因は自立、

つまり周りとのつながりが切れた状態だったからでは

なかったのかと気づいたのが

コンプリのあった7月26日、ミニワーク開催の

実に2日前のことでした。

 

この翌日、つまりミニワークの前日、家に一人でいた私は、

コンプリで平さんが話していた、自立を抜けることについて

の話を思い出していました。

 

自立の道を抜けるには、もう一度周りとの信頼関係を

取り戻すことが必要になります。

 神戸メンタルではその事を”ミラクルを信じる”

と表現します。ミラクルを信じるとは、

自分が今までとらわれていた考えや やり方とは

全く違うやり方で物事が解決する、それを信じるという事です。

 

 けれども、せっかく自立の出口まで来ても、

それまでの痛みが足を引っ張り、なかなかミラクルなんて

信じられなかったりして、ここで止まったままでいる人も

少なくありません、私がそうだったようにです。

 

私のミニワークに来たいと思ってくれる人がいる、

私と繋がりたいという人がいる、

周りとちゃんと繋がっている”という事は

私にとって信じがたい事=ミラクルだったわけですが、

この日、”ミラクルか。。私にもあるのかも。。。”くらいの

かなり消極的な感じでしたが、私にもミラクルが訪れると

信じてみてもいいかもしれない。。。と思いました。

 

そこで、ミラクルを信じてみよう、でイージーアップを

しているうちに、コンプリでの平さんのお話や、

まみさん関係で参加した6月のアライブセミナーで聴いた倍音

(これも可聴領域を越える、聞こえない音を聞く、ということでは、

ミラクルを信じるのと一緒だと思っています。)

 

ミニワークやろうと言ってくれた泰子さん、

参加を表明してくださった人たち。。。。

いろいろな事が次々と心に浮かんできて

 

あれ?繋がっているんじゃない?

ミラクルって もしかしてもうあるんじゃない?と

思った途端に 感情が ガーーっと上がってきました。

ぶわ~~っと両目から涙があふれて

誰もいなかったのでその場で うわーーーっと

大きな声で泣いたまさしくその瞬間

 

ピーーーンと音がして、スマホがメールの着信を

告げました。べそべそ泣きながらメールを開くと、

それはある女性からで

”明日のミニワーク、二部から参加します”と

書いてありました。

 

ミラクル来た~~~。・゚・(ノД`)・゚・。!

この後私が超号泣したのは言うまでもありません。。

心が開いた途端にミラクルがやってきた瞬間でした。

 

こうして迎えたミニワーク当日、

緊張と、そしてどこか夢の中のことのような

ふわふわした感覚でしたが、

来られた皆さんのお顔を見て、ほっと一安心、

そのあとは落ち着いて?ワークを進めることができました。

 

予定の18時半になって、企画していたすべての

グループワークが滞りなく終わって、終わりの

挨拶をしたとたん、みなさんが

”卒業おめでとう~!!”と拍手してくれました。

 私は10年間持っていた荷物をぜーーんぶ手放した感じで

”終わった~~~~~~!!!”

と叫びました!!

 

そのあとの打ち上げは女子会となりとても楽しかったです。

一人の人がお店の人とのじゃんけんで優勝してくれたおかげで

なんと私たちのテーブルのお会計が半額に!!

調子に乗ってデザートもしっかり食べて大満足!

本当に本当に楽しかったです。

 

長かった この”奇跡に導かれたミニワーク開催”シリーズも

これで終わります。

 

読んでくださった方、本当にありがとうございました。

皆様にもたくさんのミラクルが訪れますように、

そしてそれをたくさん受け取れますように♡

 

 

奇跡に導かれたミニワーク開催。。その5「解決のゲートからやってきた光の人」

みなさまこんにちは、あっこです。

 

まみさん(杉本真由美さん)と出会い、萌えコンに入り、

10年引きずったミニワーク開催を目の前にしての

頓挫を経験した私が、萌えコンの薦めるとおり

自分主催の”お茶会”を開くことにし、その日取りを

解決のゲートの日である3月21日に決めたところまででした。

今日はその続きです。

 

お茶会を開くことを決めた2月は私にとって

一大転換期でもありました。

今働いている手芸店の面接に受かったものの、

10年いた元職場からの強い引き留めや

新しいところへ進むことにものすごく不安が出てきたりして

毎日毎日、胃が痛くなるほど悩んでいた時期でした。

 

退職するのか残るのかの決断を迫られていた2月の終わりに、

私はブログで、3月21日のお茶会の告知をだしました。

慣れないリザーブストックの設定の難しさに泣き(´;ω;`)、

胃が痛む中、ようやく作った告知文と受付の画面でした。

 

有名な人ならいざ知らず、ネットの住人の一人くらいの存在の私の

お茶会開催の発信は、それこそまみさんの言う

”永遠のゼロ” (お申し込みがない(><))

なのかもしれませんでした。でも、それでもよかったのです。

こうやって発信できることろまで、

たったの半年でよくたどりついたなあと思いました。

 

そうして告知した翌日、

2月26日 Gate#52 記憶の扉が開く日に

そのメールは届きました。

知らないアドレスから届いたそのメールには

”3月21日参加します”と書いてありました。

 

さ、参加しますーーーー!?

参加してくださる方がいる。。。。。

本当に~~~~~?

うれしくて半分泣きながら何度も何度もメールを見て

すぐまみさんちくさんに報告し、お二人とも喜んでくれました。

 

参加の名乗りを上げてくださった方。。。

それは安池泰子さんという方でした(ご本人に承諾いただいて

お名前を載せさせていただいております)。

 

安池さんは神戸メンタルサービス所属のカウンセラーをされている方で、

ワークで何度かお会いしたことはあるけれど、

特別に仲が良かったわけではありませんでした。

それでも私のお茶会に興味をもって下さったのです。

 

そして当日3月21日、私は朝からものすごく緊張して

待ち合わせの駅までゆきました。

泰子さんともうおひとりの参加者の方と3人で、

予約したお店に向かいました。

 

おいしいランチを食べ、イージーアップをお伝えし、

イージーアップランチ会はあっという間に終わりの時間になり、

もう一人の参加者の方はそこでお帰りになられました。

 

私と泰子さんは、

盛り上がってきたしおしゃべり続行!ということで

近くのコーヒーショップに場所を移して

さっそくおしゃべりの続きを始めました。

 

お互いが所属している神戸メンタルサービスの話になり、

上級コースに入ってもう10年目になってしまったこと、

ミニワークをやるつもりでいたけど、

できないまま一人フェイドアウトする事になった経過、

泰三さんのことなど、全部話しました。

 

それを黙ってずっと聞いていた泰子さんは聞き終わると、

”ミニワーク、やろうよ!手伝うよ!”

と、笑顔で言ったのです。え? と、思わず聞き返しました、

ミニワークは来世でやります(^^;)くらいに思っていた私は、

手伝ってくださる方が再び現れるとは全く思ってもいませんでした。

彼女はニコニコしながら、続けて言いました。

”受付はやるよ、レジュメも残っているから参考にして

 

どうも本気でそう言ってくれているらしい。。。。。

私はただただ驚いて、泰子さんをじっと見つめました。

 一瞬泰三さんが帰ってきてくれた気がしました。

お名前も似ているのです。。。

 

そして思ったのは、”子供ってこうやって親の元に

生まれてくるのかもしれない。。。”ということでした。

 

子供は生まれてくる前に、空の上から地上を見下ろしています。

そうして、

”あのおうちのあのお母さんがなんか気になる、

あそこのおうちに生まれよう”、って生まれてくるのだという、

そんなお話があるのです。

暗い顔をしたお母さん、しんどそうなお父さん、

それを助けようと思って生まれてくるのだそうです。

 

泰子さんが申し込みをしてくれた頃の私は

暗闇をたった一人でトボトボ歩いているような状態でした。

 

前職を辞めるかどうか、という時の私は

その職場でうまくやれなかったという罪悪感でいっぱいでした。

何度ももう無理と思う状況があって、でも

それは自分が悪かったのではないかと感じ、

そしてまた、あの職場には誰も私の味方はいない、

そんな気がしてしまっていました。

怒りや孤独感や閉塞感、そしてその職場にいた10年の間に

たまりにたまった澱(おり)というものを

もうどうにもできない、そんな気持ちでいっぱいだったのです。

 

そんな真っ暗闇で独りぼっちの中、

突然お茶会に参加するという方が現れたのです。

そしてその方が、解決のゲートの日に

ミニワークを手伝うからやろう!!って言ってくれたのです。

 

それは暗闇に射した光そのものでした。

まるで、絶望して死にそうなお母さんのもとに

”お母さん、私が助けるからね!”って 

赤ちゃんが光り輝きながら産まれてきてくれた、

それくらい私の前でニコニコしている泰子さんは

まばゆい光を放っていて、まさしく光の人でした。

 

私は目の前に出された泰子さんの手を 

今取らなければもう、本当に一生ミニワークをやる機会は

ないと思い、思わず ”うん。。。。”と返事をしていました。

 

泰子さんは更に、私には不可能と思われた

イージーアップというボディワークを

心理学に落とし込む、という荒業をやってのけます。

”深呼吸をしながら深い意識につながるワーク”、

こう表現すれば心理学で問題ないでしょう?”

 な、なるほど。。。。(・`д´・;)ス、スゴスギ・・・。

 

こうして、3月21日解決のゲートの日に

私の”ミニワークできない” が

本当に解決してしまったのでした。

 

この後私は、泰子さんという心強い協力者を得て

いよいよミニワークに向けて動き出すことになります。

が! 

メデタシメデタシと行かないところが人生というもので、

ミニワーク開催までの4か月間、

”ミニワークやりたくない。。。”という強烈な抵抗に

悩まされることとなるのです。。。。

それはいったいなぜだったのでしょうね。。。。

 

続く。。。

 

 安池泰子さんのブログはコチラ ↓

 

blog.livedoor.jp

奇跡に導かれたミニワーク開催。。その4「まみさんから解決のゲートへ」

みなさまこんにちは、あっこです。

泰三さんからのつながりで、

次は杉本真由美(まみ)さんの登場です。

 

泰三さんが亡くなられ、そのお葬式に関連して

泰三さん関係のいろいろな方の情報がFB上を飛び交うなかで、

なんとなく気になったのがまみさんです。

 

初めてリアルでお会いできたのは、泰三さんが亡くなられて

半年以上後のことでした。

まみさんからイージーアップを教わり、スカイプで個人セッションを受け

その流れで2016年10月、まみさんとちくさんが講師をつとめる

”萌えるビジネスコンサルタント塾(略して萌えコン)”に

入ることになります。

 

まみさんとかかわると様々なことがとにかく加速します。

とにかくこの方に会わなかったら、そのあとに

起こる奇跡の数々にも出会えなかったと思っています。

 

10月1日に萌えコンが始まって、

11月には それまで1年かかって進めないでいたブログを立ち上げ、

年が明けてから考えも及ばなかったメルマガも始め、

最初のころは本当によく ”まだたった〇か月しか

たっていないの???”と思っていました。

 

そんな中で ミニワークをやりたいという話は、

結構最初のほうからしていたように思います

(あまり覚えていない。。)

 

なにしろ上級コース生になってその年でまる9年たっていたので、

”ミニワークをやりたいとは思うものの。。。”

と、そこから全く進めずにいて、まみさんから

それってやるやる詐欺だから、と突っ込まれることになった時のことが

この日記です(^^;) コチラ ↓

 

stargate-n.hatenablog.com

これが去年の12月の事でした。

 

それから年が明けて、今年の1月頃に

ミニワークを本気で企画し始めた私がいました。

自分が今、自信を持ってできることはイージーアップなので、

イージーアップを中心に、参加された方に楽になって

もらえるような内容の企画を考えました。

 

そしていよいよ、事務所に企画書の提出に関して

電話することになりました。

 

手がぶるぶると震えているのがはっきりわかり

心臓がバクバクと音を立てます。。。

なにしろこの電話つながってしまったら、10年締まっていた扉が

開いてしまうのですから、それはもうドキドキなわけです。

 

電話がつながり、事務所の方が

ホームページとパスワードを教えてくださって、

そこ詳しく書いてあるからそれを見るよう言いました。

 

実は、受講生用のホームページなんて

今まで開いたことがなかったので(^^;)、

そこで初めて、上級ミニワークの規定に関することを知りました。

 

そこには、”イメージワークやボディワークは禁止、

あくまで心理学に基づいたもので”とありました。

ええ~~!?イージーアップはダメなの。。!?

イージーアップは心理学ではなかったのです。。。。

 

心理カウンセラー養成コースの卒業課題なのですし、

何かあっても事務所としても責任が持てない、というのは

最もな言い分だと思います。

 

でも、ミニワークができないまま10年目に入っていて、

まみさんと出会い、物事が加速する萌えコンに入り、

ようやくイージーアップを中心に企画を組みだし、

震える手でようやくかけた事務所への電話、

本当にやっとやっとミニワークが開催できる!

と思っていたのに、ここまできてダメだとは。。。。

最初に規定を調べてから企画を立てればよかったと、

自分の詰めの甘さを呪いました。

 

企画全体を心理学風に組み替える、という方法もありますが、

それはその時の私にとっては、少し変な表現かもしれませんが、

イージーアップという立体の形のものを

心理学という平面図形に落としこめと言われてるような

複雑さがあって、ようするに無理だ。。。と

思ってしまったのです。

 

そう思ったとたん、心がポキッと音を立てた気がして、

がんばっていた自分の中の何かが

ぺちゃんこにつぶれてしまった気持ちがしました。

それは穴が開いて しかも破れてしまった風船のようで

もう一度膨らませたりとか

ましてや修復なんてとても不可能に思われました。

 何もかももう無理なんだ。。。。。。

 

けれどもこの時、心のすごくすごく深い隅っこで、

これだけやってだめだったんだから

もういいや。。。。 と思った私がいたのです。

ミニワークができなくなって

がっくりしている心のどこかで 実は

やらずに済んでほっとしている

と感じている自分がいたのです。

 

そのくらい、ミニワーク開催に抵抗があって、

いったいどうしてそれほどの抵抗感を感じていたのか、

その抵抗感から10年もこじらせてしまった

本当の理由はいったい何だったのか。。。

それがわかるのはこの約半年後。。。

実にミニワーク開催の前日になります。。。

 

とりあえず、ミニワークができないとなった時点で、

私は大きく方向転換します。

かねてから萌えコンで薦められていた

自分主催のお茶会を開く方向に進むことにするのです。

 ゆくゆくは、スカイプや対面で個人セッションをしたいと

思っていた私に、萌えコンで出された課題は

”あなたの事を多くの人に知ってもらって” 

というものでした。

 

こうして、3月21日をお茶会を開く日と決めました。

3月21日は宇宙の新年だと占星学では言われているし、

ゲートの意味もよい感じだから、と

本当にそんなふうに軽い気持ちで決めました。

 

 3月21日・・・Gate#63 「解決に向かう日」

無理だとあきらめかけていたことについて、

解決に向かうきっかけが宇宙からもたらされるだろう。

時間軸と空間軸の設定が整合化されれば、どんなことも

現実になる。  辻麻里子さん著「数字のメソッド」より

 

これがまさしくその通りになろうとは、

全く思いもしていなかった。。。

これが今年の2月の出来事です。

 

次はいよいよ3月、

解決のゲートをくぐってやってきた人と出会います。

つづく。。。