奇跡に導かれたミニワーク開催。。その5「解決のゲートからやってきた光の人」

みなさまこんにちは、あっこです。

 

まみさん(杉本真由美さん)と出会い、萌えコンに入り、

10年引きずったミニワーク開催を目の前にしての

頓挫を経験した私が、萌えコンの薦めるとおり

自分主催の”お茶会”を開くことにし、その日取りを

解決のゲートの日である3月21日に決めたところまででした。

今日はその続きです。

 

お茶会を開くことを決めた2月は私にとって

一大転換期でもありました。

今働いている手芸店の面接に受かったものの、

10年いた元職場からの強い引き留めや

新しいところへ進むことにものすごく不安が出てきたりして

毎日毎日、胃が痛くなるほど悩んでいた時期でした。

 

退職するのか残るのかの決断を迫られていた2月の終わりに、

私はブログで、3月21日のお茶会の告知をだしました。

慣れないリザーブストックの設定の難しさに泣き(´;ω;`)、

胃が痛む中、ようやく作った告知文と受付の画面でした。

 

有名な人ならいざ知らず、ネットの住人の一人くらいの存在の私の

お茶会開催の発信は、それこそまみさんの言う

”永遠のゼロ” (お申し込みがない(><))

なのかもしれませんでした。でも、それでもよかったのです。

こうやって発信できることろまで、

たったの半年でよくたどりついたなあと思いました。

 

そうして告知した翌日、

2月26日 Gate#52 記憶の扉が開く日に

そのメールは届きました。

知らないアドレスから届いたそのメールには

”3月21日参加します”と書いてありました。

 

さ、参加しますーーーー!?

参加してくださる方がいる。。。。。

本当に~~~~~?

うれしくて半分泣きながら何度も何度もメールを見て

すぐまみさんちくさんに報告し、お二人とも喜んでくれました。

 

参加の名乗りを上げてくださった方。。。

それは安池泰子さんという方でした(ご本人に承諾いただいて

お名前を載せさせていただいております)。

 

安池さんは神戸メンタルサービス所属のカウンセラーをされている方で、

ワークで何度かお会いしたことはあるけれど、

特別に仲が良かったわけではありませんでした。

それでも私のお茶会に興味をもって下さったのです。

 

そして当日3月21日、私は朝からものすごく緊張して

待ち合わせの駅までゆきました。

泰子さんともうおひとりの参加者の方と3人で、

予約したお店に向かいました。

 

おいしいランチを食べ、イージーアップをお伝えし、

イージーアップランチ会はあっという間に終わりの時間になり、

もう一人の参加者の方はそこでお帰りになられました。

 

私と泰子さんは、

盛り上がってきたしおしゃべり続行!ということで

近くのコーヒーショップに場所を移して

さっそくおしゃべりの続きを始めました。

 

お互いが所属している神戸メンタルサービスの話になり、

上級コースに入ってもう10年目になってしまったこと、

ミニワークをやるつもりでいたけど、

できないまま一人フェイドアウトする事になった経過、

泰三さんのことなど、全部話しました。

 

それを黙ってずっと聞いていた泰子さんは聞き終わると、

”ミニワーク、やろうよ!手伝うよ!”

と、笑顔で言ったのです。え? と、思わず聞き返しました、

ミニワークは来世でやります(^^;)くらいに思っていた私は、

手伝ってくださる方が再び現れるとは全く思ってもいませんでした。

彼女はニコニコしながら、続けて言いました。

”受付はやるよ、レジュメも残っているから参考にして

 

どうも本気でそう言ってくれているらしい。。。。。

私はただただ驚いて、泰子さんをじっと見つめました。

 一瞬泰三さんが帰ってきてくれた気がしました。

お名前も似ているのです。。。

 

そして思ったのは、”子供ってこうやって親の元に

生まれてくるのかもしれない。。。”ということでした。

 

子供は生まれてくる前に、空の上から地上を見下ろしています。

そうして、

”あのおうちのあのお母さんがなんか気になる、

あそこのおうちに生まれよう”、って生まれてくるのだという、

そんなお話があるのです。

暗い顔をしたお母さん、しんどそうなお父さん、

それを助けようと思って生まれてくるのだそうです。

 

泰子さんが申し込みをしてくれた頃の私は

暗闇をたった一人でトボトボ歩いているような状態でした。

 

前職を辞めるかどうか、という時の私は

その職場でうまくやれなかったという罪悪感でいっぱいでした。

何度ももう無理と思う状況があって、でも

それは自分が悪かったのではないかと感じ、

そしてまた、あの職場には誰も私の味方はいない、

そんな気がしてしまっていました。

怒りや孤独感や閉塞感、そしてその職場にいた10年の間に

たまりにたまった澱(おり)というものを

もうどうにもできない、そんな気持ちでいっぱいだったのです。

 

そんな真っ暗闇で独りぼっちの中、

突然お茶会に参加するという方が現れたのです。

そしてその方が、解決のゲートの日に

ミニワークを手伝うからやろう!!って言ってくれたのです。

 

それは暗闇に射した光そのものでした。

まるで、絶望して死にそうなお母さんのもとに

”お母さん、私が助けるからね!”って 

赤ちゃんが光り輝きながら産まれてきてくれた、

それくらい私の前でニコニコしている泰子さんは

まばゆい光を放っていて、まさしく光の人でした。

 

私は目の前に出された泰子さんの手を 

今取らなければもう、本当に一生ミニワークをやる機会は

ないと思い、思わず ”うん。。。。”と返事をしていました。

 

泰子さんは更に、私には不可能と思われた

イージーアップというボディワークを

心理学に落とし込む、という荒業をやってのけます。

”深呼吸をしながら深い意識につながるワーク”、

こう表現すれば心理学で問題ないでしょう?”

 な、なるほど。。。。(・`д´・;)ス、スゴスギ・・・。

 

こうして、3月21日解決のゲートの日に

私の”ミニワークできない” が

本当に解決してしまったのでした。

 

この後私は、泰子さんという心強い協力者を得て

いよいよミニワークに向けて動き出すことになります。

が! 

メデタシメデタシと行かないところが人生というもので、

ミニワーク開催までの4か月間、

”ミニワークやりたくない。。。”という強烈な抵抗に

悩まされることとなるのです。。。。

それはいったいなぜだったのでしょうね。。。。

 

続く。。。

 

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