目覚めの話。。。。「鬼滅の刃」魘夢のみせる夢

みなさまこんにちは、あっこです。

前回記事を書いてから一年もたってしまったのですね、

びっくり。。。。

 

今日のブログは、今大人気の鬼滅の刃から 少しだけ

材料をいただいて書かせていただきますね。

そしてこれは、あくまでも私側から見た考え方です。

その人たちにはその人たちの、信じ、行こうとしている

道というものがある、どちらが正しいといったものでは

ありません。

 

ただ、それでも ”なんかなあ。。。”って思ってしまったのです。

 

最近私の周りで多いのは、

”私(もしくは俺)、こんなにすごくなったよ!!”という報告です。

内容はかなりスピ系で、

何かが見えるようになった、神社仏閣に呼ばれている、

過去世にさかのぼり、すごい過去世であることがわかった、

竜が、神が、とかそういったものです。

 

ご本人たちは自慢するとかそんなつもりは多分ないと思います。

仮に自慢したい、人より上に、先に進みたい、優越感を感じたいと、

本当は思っていたとしても、それはそれで

よいも悪いもないのだと思ってます。

 

でも、そのような事を聞くたびに私が思い浮かべるのは、

大人気コミック「鬼滅の刃」の劇場版無限列車編 にでてくる

下弦の壱の鬼 ”魘夢(えんむ)”のことです。

 

魘夢は別名「眠り鬼」、最初は幸せな夢を見せそのあとに

悪夢を見せることで、絶望させて精神を破壊する、

他人の苦痛を快楽としている鬼です。

※魘夢の ”魘”は 訓読みでは うなされる です。

 

 

今は(宇宙や地球の意識と)一体化の方向に

進んでかなりたつというのに、

何か(すばらしい者)になった、というのは分離感であり、

時代のエネルギーとは真逆の方向です。

 

それに気づかずにいる人たちはまるで、

魘夢の魔術にかかって

すばらしい夢を見ている人のようなそんな気がしました。

それが悪いわけではないし、よい夢を見続けられるなら

それも幸せなのかもしれません。

 

今これを読んでいらっしゃる方で、

何かになれないとあがいている方、

何かになれなかったと自分を責めている方、

 

大事なのはそこです。

 

そんな自分をどれだけ受け入れられるか、OKがだせるか

それが今世あなたがすることです。

 

”何か(素晴らしいもの)になること”では 決してないのです。

 

自分の自 から 点をとると 目 になる、

大切なのはすばらしいという自覚じゃなくて 

目覚め です。

 

鬼滅の刃」の主人公竈炭次郎(かまど たんじろう)が

魘夢の夢から覚めたように

私たちもよい夢に惑わされず、ちゃんと目覚めた意識で

物事を見て、そして来年もまた一日一日を

大切に生きてゆきたいものです。。。

 

 

 

鬼滅の刃 #魘夢 #宇宙意識 #分離感