奇跡に導かれたワーク開催。。その3「泰三さんのくれたギフト」

こんにちは、あっこです。

昨日泰三さんの事を書いていたら

もう一つ、泰三さんについて書きたいことがでてきました。

 

泰三さんが突然亡くなられて 暗く沈み込んでいた私は、

5月にごめんなさいした神戸メンタルサービスの

3日間の7月ワークに参加することにします。

 

3日間のワークは3日間通して出なくても、

そのうちの2日間の参加ということもできます。

私はその時の3日目にどうしても抜けられない仕事がありましたが、

遅番なので もし3日目を途中でぬけられるなら

3日目も参加できる、という状況でした。泰三さんのこともあったし、

少しでも長くワークに参加したかったのです。

 

その件で事務所に問い合わせの電話をしたら、

電話に出た女性の方は 私の話を聞くと開口一番

”終日参加が原則です、3日目をキャンセルしようとは

思わなかったんですか?”と、ちょっと強い口調で言いました。

 

はい~~?(`-´#)イラっ!

休もうと思わないから聞いてるんだよね?

 

とりあえず、3日目の最終セッションが始まる前という

タイミングで帰らせてもらうことになりました。

セッションの最中は ドアをしめ切っており

出入りは一切禁止されています。

それは、セッション中のドアの開け閉めや人の出入りがあると、

せっかく出始めた感情が途切れてしまう恐れがあるためです。

そのため、一つのセッションの区切りがついた休憩時間に帰る、

ということになったのです。

 

その7月ワークの2日目、ジョイニングというセッションを

することになったのですが、不思議なことがありました。

 ジョイニングとは、相手と目と目をただ合わせるというもので、

アイコンタクトを通して感情を感じるというものです。

 

この時、受講生・アシスタント全部で150人くらいが会場に

いましたが、平さんが自ら この人にはこの人、と一組一組

選んでペアを作ってゆきました。150人もいるのにです。

 

私はなかなか呼ばれず、やっと呼ばれたと思ったら

相手の方は 今まで一度もワークで会ったことのない、

知らない男性でした。向こうの方も私を知らないなあという感じで

こちらに向かってぎこちなく頭をぺこりとさげました

 

椅子を動かして向かい合う態勢にしたとたん、その人が

”あれ?俺たち確か泰三さんのところで会いましたよね!?”

え?!

そうです、5月に初めて泰三さんのミニ講座に行った時に

いた人だったのでした。

彼とバディを組ませてもらったおかげで私は

これ以上はないくらい泣きました。

泰三さんが亡くなったのがあまりに突然で

きちんと泣いていなかったのです。 

ようやくちゃんと泣けた。。。

 

ところで150人も人がいる中で、どうして平さんは私たちを

組ませたのだろう、という話になりました。

私たち二人が泰三さんのミニ講座に参加したことは

平さんは知らないはずだったからです。

 

二人で平さんのところに行って訳を聞いてみたら

”う~ん、なんとなく。。”との事。

ちょっとだけ背筋がゾクっとしましたが、

これも泰三さんが見守ってくれてるってことだね、と

その人とはお話しました。

 

そうして時間が過ぎていよいよ3日目に突入します。

この日、私は朝から緊張していました。

みんなに迷惑をかけないように、スムーズに帰るには、

という事で頭がいっぱいでした。

ワークというのはいわゆる生ものなので

始まってみないと何時に終わるのか誰にもわからないのです。

なのでまったく時間が読めない状態だったのです。

 

どんなに遅くても、17時には会場を出ないと仕事には間に合わず、

かといって、セッション最中の途中退席は許されません。

何時に午後一番のセッションが始まるか、それには午前中のセッションが

何時に終わるのか、そこから気にかけなくてはなりませんでした。

 

思ったより長かった午後のセッションが16時に終わり、

16時20分までの休憩とアシスタントがアナウンスしました。

16時15分になると会場整備のため、受講生は会場内には入れません。

また、休憩時間が終わって次のセッションが始まったら

今度は出ることが許させません。

なので、この時点で私に与えられたのは

16時から16時15分までの、たったの15分間でした。

 

この15分の間で、平さん・リーダー・アシスタントの方々・

そして同じグループの人達への挨拶を終わらせ、

書けなかったメッセージカードを書き、

お世話になった人とハグしたり、

苦手だなって思った人に声をかけたりと

 

とにかくやらなければならない事、やっておきたい事が山ほど

あったのです。

私以外の人にとっては ただの次のセッションへの待ち時間なので

のんびりゆったり 談笑しているみんなの中

ただ一人 私だけが猛ダッシュで会場内を走り回っていました。

 

 あっという間に15分が過ぎ、私は慌ただしくみんなに別れを告げ

会場から駅に向かって走り出しました。

その時ふと、こんなことを思いました。

泰三さんて亡くなる前、

こんな気持ちだったのかもしれない。。

 

きっと泰三さんも天国の事務所の人に

地球滞在の延長願いを出し、こんな風に言われたに違いありません。

”病気もたくさんして そんなボロボロの状態で。。。。

もっと早くこちらに帰還しようと思わなかったんですか?”

 

それを聞いた泰三さんもきっと吠えたでしょう、

”思わへんから言うてねん===ヽ( `皿´ )ノ

少しでも長く地球に滞在したい、そしてできるだけの

事をしてから逝きたい、そう思われたにちがいありません。 

 

そして、思うのですが、

泰三さんは決して苦しんで逝かれたわけではなくて

猛ダッシュで走り回り、できるだけのことをされて

本当にやり切って、ある程度満足されて、

”あとはみんながんばってね~~~”と

笑って逝かれたような気がします。

そう思えてようやく 胸のつかえがとれた気がしました。

 

 本当に短い時間しか一緒にいられなかったけど、

泰三さんはたくさんのギフトを私に残してくれました。

その泰三さんつながりで知り合えた

やじるし屋 杉本真由美さん(まみさん)。

 

明日はいよいよそのまみさんとのお話です。

つづく