奇跡に導かれたワーク開催。。その2「長谷川泰三さんのこと」

みなさまこんにちは、あっこです。

昨日の続きで、長谷川泰三さんが現れたところです。

 

その前に 長谷川泰三さんについて少し書きます。

車いすのカウンセラーとして、24時間テレビのドラマにも

なった長谷川泰三さんは、平準司さんの右腕として

神戸メンタルサービスのカウンセラーとして活躍されました。

 

4歳で一家離散、中学になるころはグレて暴走族の仲間入りをし、

15歳でチンピラとのトラブルから大きな事故を起こして

下半身不随になってしまい、医者から”君は一生歩けない”と

告げられます。

絶望した彼は、東尋坊での自殺を試みますが、たくさんの

人に助けられる、という経験をします。

 

その後結婚しましたが、いろいろな問題をかかえ、

もういよいよだめだと、ビルの屋上から飛び降りようとします。

その時、自分のこの世での最後の言葉を誰かに

聞いてもらいたいと電話することにします。

400枚近い名刺をたぐっていると、その中の1枚が

下に落ちました。みるとそれには”平準司”と書いてありました。

 

そこで彼は、一度しか会ったことのない平さん電話をします。

平さんは泰三さんを一喝、”死ぬ前に誰かの役に立ってみろ!”

と、自分が主催するグループセミナーへの参加を命じます。

 

そのセミナーで彼はアシスタントとして参加しますが、

あるフォーカスパーソンの女性のお父さん役に選ばれます。

それは、お父さんを自殺で亡くされたという方でした。

 

その女性は泰三さんに目の前に立ってもらって

泰三さんこう言いました。

「お父さん、どうして死んだの?わたしが悪いの?」

 

泰三さんはまるで自分に言われているような気がして

思わず感情が入って

「違うよ違うよ、お前は悪くないよ、そんな悲しい顔

しないでくれ!」と言います。

 

この会のセミナーはお父さんを亡くされたという方が多くいて、

泰三さんはその度にお父さんの役に選ばれてしまいます

 

こうして、セミナーを通して自分の持っていた痛みや

残された人達の苦しみ、いろいろなものがたくさんの涙となって流れ、

2日間泣き続けて目が腫れるほどだったそうです。

 

この平さんのセミナーへの参加で

泰三さんは、自分の痛みが同じ境遇の人を救うという

経験をします。そして自分の痛みから目をそらさず

受け入れることができると癒されるのだということを知ります。

長谷川泰三著 「命のカウンセリング」より内容を抜粋

 

 こうしてカウンセラーとして有名になり、

やがて神戸メンタルを離れて独立された泰三さんは

北陸を中心に活動されていました。

 

その泰三さんが、東京で少人数の講座を開きたいと

コース生を募集していたのが2014年の春先でした。

私がそれを知ったのは4月で、すでに募集は打ち切られていました。

それでも5月に、2時間の講座が数回あるようだったので

それに参加することにしました。

 

それこそ、以前ヒーリングワークで一度しかお会いしたことのない

泰三さんの講座に行ったわけです。

その2時間の短い講座で、癒されて号泣した私に

泰三さんはコース生にならないかと誘ってくれました。

 

私は泰三さんに正直に、まだ神戸メンタルに籍があり、

上級ミニワークができないので卒業できないのです、と言いました。

そうしたら泰三さんは ガハハハッと笑ってこう言いました。

 

”上級ミニワーク、あれは俺が企画したものなんや、

 よっしゃ、手伝ったる!ミニワークやったろうやないけ!”

 

ええ~~~~~!!?

企画したご本人が手伝ってくれるというのです。。。。

ようやくミニワークが開催できる、と

心の中に光が射したような思いでした。

 

泰三さんは、ミニワークで一番大事なのは何か知っとるか?”と

聞きました、私は”企画の内容ですか?”と答えたのですが、

泰三さんは首を横に大きく振り、

”あのな、一番大事なんは集客や!”と言いました。

これを私は、数年後 身をもって知ることになります。

 

また、このまま泰三さんのところに来ることに、

神戸メンタルに対して裏切ってしまったような

罪悪感があることを見抜いていた泰三さんは、

”平のおっちゃんに、泰三のところに行くと言えばいい、

そうすれば全然知らないところに行くわけじゃないから

おっちゃんも安心するから。”と言ってくれました。

 

それが5月の第1週目で、さらに続けて2週目、3週目と

泰三さんの2時間講座に通った私は、

急激に癒されたからかエネルギー負けしたからか

ものすごく、へとへとに疲れていました。

仕事では数年ぶりの体調不良で早退するくらい

疲労困憊していました。

 

5月の第4週は、開催の2か月前にはもう出席を決めていた(!)

神戸メンタルサービスの2日間のヒーリングワークがありました。

でも実は、泰三さん主催の2日間ワークも

まったく同じ日程で行われる予定でした。

 

迷った私は、神戸メンタルにごめんなさいして(^^;)

泰三さん主催のワークに出席しました。

 

それが、泰三さんとこの世で会う最後になるなんて

この時は思いもしませんでした。。。。

 

5月に4週連続で泰三さんの講座やワークに参加し、力尽きた私は、

6月の第1週目の泰三さんの講座をお休みします。

ゆっくり休んで、6月第3週に泰三さんが東京でコース生を募集した講座の

第一回目があるので、それにそなえようと思いました。

 

そんな6月の第2週目、

突然電話が来て、泰三さんが金沢で

ヒーリングワークを開催している最中に

倒れられて亡くなられたと連絡がありました。

 

ショックでした、とにかくショックでした。

6月の第1週の講座に行かなかったことを

ものすごく後悔しました。

そして同時に、ミニワーク開催も無理だと思いました。

 

それからはもう ミニワークという言葉は

私の心の中で封印され、二度と燃え上がることはないはずでした。

 

ところがそれから2年がたったころ、

再びこのしけた燃えかすのようなところに

火をつける人が現れます。

 

泰三さんのお葬式の関係で知ることになったその人、

それが ”やじるし屋杉本真由美”さんでした。

 

つづく。。。。